朝日がぼんやりとした陰影をつくり、清潔な室内を白く輝かせている。
 穏やかで、ひどく優しい朝。
 しかしそれはなんだか現実味が感じられない光景で、しょっちゅう寝起きしている部屋なのに初めて訪れる場所のようだった。血と硝煙の匂いの夜が明けて、こんな朝があるなんて。
 こんな朝を迎えているなんて。
 試しに、手袋に覆われた右手を噛んでみる。強く噛めば鈍った感覚が蘇るけれど、ただそれだけで生を実感できるなら、俺は香織の隣にいないんだろう。
「手を食うなよ。今から朝メシ作るから」
 信じられない生き物を見た、というような顔をして香織がキッチンへ移動していく。それを捕まえて、頭を彼の肩に落とす。
 そしてもう何回と繰り返したやり取りを再度繰り返す。香織がいささかげんなりした顔をしているのが見なくても分かる。それでも比較的まともに掛け合ってくれる。
 体温が衣服ごしに同化して、自分が呼吸をしているのを思い出す瞬間。
 意識がほどけて、再び自分がつくられる。その時俺は「米良」に戻りたいと願う。


 そういえば、人生において他人を甘やかすことなどついぞしたこともなかったな、と香織はふと思った。美国、部下、そして同僚に対して、誠実であろうとすることは相手を甘やかす優しさを発揮しないことと同義だったように思う。
 だからいつまでも慣れない。体重をかけてもたれてくる、他者の存在の重みをもてあます。
 米良は変だ。とりわけ多く人を殺した夜の翌朝は、まるで一つずつ思い出すようにして同じ台詞を口にする。後悔や罪悪に無頓着で、良心においてはだいぶ昔に死んでいる。それなのに。
 それなのに、昨夜死んだのが自分か相手かもわからなくなるらしい。
 その心をどう扱うべきか俺は逡巡して、結局は浮かぶ言葉を口に出す。
 いつも「米良」に言うみたいにして、あしらう。
 生きて俺にもたれているのは米良の方だ。だから、さっさとこの平穏な空間の中へ戻ってくればいい。血と硝煙の匂いの暗闇から。

 美国も誰も知らないその時間、朝は適当に応じて繰り返される。祈りの込められた儀式のように。

「ああ目が覚めた」
 やがて、米良がぱっと顔を上げて香織から離れる。
「そうか。ならコーヒーを淹れてくれ。俺はいい加減首が痛い」










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